東京大学大学院人文社会系研究科に進学決定

2023年3月2日です。

 

東京大学大学院人文社会系研究科に進学決定ということです。

体験談など誰かのためになるかもしれないのかもしれない内容はまた後日改めて書きますが、

ひと文章言わせてください。

 

 

「私の人生に誰も文句を言わせない」

生きる

こんばんは。

突然ですが、苦しみはあります。

23歳になり、大学の卒業間近ですが、就活もせず、大学院受験をしたものの受かる可能性は低く、正直希望はない人生です。

いつも死にたい。心からの喜びを感じることが少なくなった。毎日感情はあまりない。ただ死にたいと思うそんな毎日を過ごしています。今日も。

 

さて、最近はなぜか文章を書きたいと思うことが増えてきました。悩みは尽きず、その種類は多様です。例えな小学校6年生から悩んでいる肌荒れ、将来の不安、結婚、健康、家族の健康、死。私はジャニオタをやっていますし、アイドルオタクももう少しで10年超えるかもしれませんが、アイドルオタクとしての心持ちを変わってきました。

オタクについては、昔ほどドキドキしなくなってきましたし、前日の緊張感も減ってきました。

将来の不安は、高校受験、大学受験どちらも第二志望の学校に行くこととなり、本当の成功とは言えないのではないかと悩んできました。今も全くどうなるのかわからない人生で、できるなら死にたい。でも死ねる勇気もないので生きているんです。

 

もし、今生きるのが辛いと思ってネットを検索して、このページに辿り着いた人がいるならば、私は何もできないけれど、きっと人生はどうにかなるんだと思います。死ぬななんて言わないです。私だって死にたい。でも明日は起きてみようと思うし、太陽は見たいと思う。食事が喉を通らなくても、寝てみよう。目的のない人生でもいい。今を生きればいいんだってそう思いたいです。

今『生きがいについて』を20ページほど読み、久しぶりに文章に吸い込まれました。こんな文章に出会えるなら、もう少し生きてもいいかなと思いました。

ここ最近は、死にたいことは変わりありませんが、「あとは死ぬだけ」と思って生きています。今は死ぬ前の時間だからやりたいことをやる、悔いのない人生を送るために、最低限やりたいことを今やっています。そのために生きています。なので、やること無くなったら私は死んでもいいと思っています。

どうか、今、「死にたい」、「生きるのはもう飽きた」と思う人がいれば、一つだけ、やりたいことを見つけてそれをやってから、もう一度人生の終わりを考えてみるのはどうでしょうか。考えてみると意外とやりたいことはあると思いませんか。あのカフェに行きたい、山に登りたい、人に会いたい、あの音楽を聴きたい、ゲームをやりたい、その気持ちを満たし切ってから、死ぬ方が、悔いのない生き方になるのではないかと考えてます。

 

生きる苦しみを感じる私がいることを覚えていただけら嬉しいです。私も死にたい。

2022年12月31日

2022年大晦日の22時46分ごろです。

今年はいつにも増して、年末感がない。というかクリスマスもなかった。

さて、カウコンが始まるまで一年を振り返ってみようかと思う。

2022年1月 韓国留学が終わり、日本と東京が大好きになった時で、一方で韓国かぶれだった。

2022年2月 コロナになった。あとは、建物とか博物館を少しずつ行き始めたかな。

3月 基本同上だけど、少しより明確に今後を描いた。

4月 新たな出会い、新しいゼミ、久しぶりの大学。

5月 卒論急ピッチ

6月 こちらの卒論急ピッチ 少し進路相談

7月 ひっさびさにボロボロに大人に言われた。あなたはなにを言っているのかわからないとか言われたな。会いたい先生がいたんだけど、もう少し勉強してから行きなさいとか言われて、まぁそうなんだけど。胸糞悪かったな。私の勉強不足も大いにあったけどね。あの時私は全て終わったと思った。普通にムカついたから見返してやりたい。

あ、でももう一人の先生には、そんなことは言われなかったなー。宇宙兄弟では、2、3人に言われた自分のいいところは、自信を持ってもいいみたいなこと書いてあったから、まぁあなたの言っていることがわからないは他の先生には言われたことないから、単純にあの人がわたしをとりたくないだけ。M先生もそう言ってたよ。

8月 フィールドワークしながら、進路に撃沈。この世の終わり。高三の受験期と2021年の秋が史上最悪な時期だったと思ったけど、7、8月も同じくらい人生のどん底に落ちた。高三の受験期も2021年も、これ以上のどん底はもうないって思っていただけど、今年も更新した。来年も更新するのかなー笑えないけど毎回立ち直ってるから平気って信じるよ。

9月 フィールドワークもぼちぼち、進路もぼちぼち。

10月 進路大決定。フィールドワークも順調。

11月 卒論順調。

12月 卒論提出。発表会は失敗。15分でなにを伝えるのか、全てを伝えるのは無理なんだから自分が強調したいところを伝えることを意識する必要があることを学び、まだまだ発表はうまくいかないことを知る。

 

2022年はどういう年だっただろうか。

・地獄

・でも、私はやっぱり立ち直れる

・自分で動く

・何事も早く動くこと

 

去年よりも生きやすくなった気はする、体調は特に。精神は、まぁ悪くはなってないね。ただ比較はできない、悩むことが変わったから。

23歳になったんだけど、周りは割と仕事を始めていて、未だ人生どうなるのかわからないのは私くらいなのでは?と思う。4月くらいまでは気にしていたけど、最近はどうでもいい。私がいわゆる「普通の人生」を送れるなんて、自分がそんなことできると過信していただけで、勝手に期待していただけ。勝手に、ボーダーラインを作ってそこに近づくことが正しい生き方だと思っていただけ、具体的に、22歳で卒業してそのまま釈迦人とかね。いいですか、あなたは、「普通」の幸せな暮らしは得られない。自分が思い描く完璧な人生を歩めないなら、自分の人生を諦めなさいと言われているかのよう。しかし、ここで、私の人生は最悪だから早く死のうとかは思わない。(死にたいけど)死ぬ時に後悔しているのは嫌だし、今は完璧な人生、理想の人生を捨てて、自分のやりたいことをやって、自分の望む人生が終わった時、死ぬの。自分がみんなと同じように生きれるなんて、そんなのは馬鹿な妄想で、あなたはあなたの人生を歩むまで。あなたは今できる自分のやりたいことを軸に生きていく、完璧な人生を諦める、理想を掲げる自分を捨てる、自分に諦めるからこそ勝手に生きていく、そんな人生の始まりが2022年だったのではないかと。実際、やりたいこと多すぎて人生と時間が足りない気もしている。ということで、死にたい気持ちを抱きながらも、健康な体を持ち続ける限り、もう少し生きていくこと、生きることに前向きになった。

 

最後にもう一度。勝手に自分の理想の人生を思い描いて、それに近づけない自分にうんざりして、早く消えればいいと思っていたけど、それは大きな間違い。結局自分が自分を苦しめていた。私は理想を持つなんてそんなことできるほど整った人間でもないし、そんな権利を持っていたとしても、行使できること私はすごくない(自己肯定感底辺、地下掘ってる)。自分ならどこかみんなと同じように生きれるのかなって思っていたけど、どう考えても無理。自分に期待しすぎ。自分に諦めなさい。自分は上手くできるんだって信じたっていいけど、根拠のない信念は、結局自分を苦しめるだけ。私は人の3倍も物事に時間をかけないと、やり遂げることはできないし、私は頭良くない。だから、完璧になろうなんて思わず、できることをやるだけだし、練習を積み重ねるだけ。それでしかない。自分を信じるななんて言わないけど、自分を信じることができるのは、訓練に訓練を重ねた時間があるときだけ。自分に諦めなさい。そして、諦めた自分を受け入れて、今できることをやりなさい。と言い聞かせる2022年の年末。

 

23歳ってもっと大人だと思っていたよ

1日に一回は卒業論文と向き合うこと

今日、第2回の卒業論文の提出の日。

ゼミの教授から、卒寮論文は時間をかけて、少しずつ書くものだと教えてもらった。

さて、この2週間の私は、卒業論文にしっかり向き合えたのだろうか。

全くである。

今日は少なくとも向き合った。

じゃあ明日はどうだろうか。明後日はどうだろうか。

今過ごしている、卒論との時間は、学業だけではなく、仕事でも同じである。

自分のやるべきこととは向き合うこと。できるだけの時間。

それが今年中の目標ですね。今年はもう3ヶ月しか残っていない。今できることをやろう。

今日はしっかり向き合ったから、心の充電で、映画を見るよ。

データの書き起こしも少しずつ始めています。

ブログの題名について

このブログの名前は「H・A・FとEXO-L」だけど、

2022年8月31日に、EXO-L退会してしまいました。

また復活するかはまだわからないです。

それほど、ジャニヲタになったのです。

でもEXOは私の人生であり、財産です。

 

2022/08/30

もう少しで9月ですね。2022年の終わりが始まろうとしている。夏はもう終わるのかな〜。今年は、いつもだけど、時間が過ぎるのが早い。

夏が終わるときは、フジファブリックの「若者のすべて」を聞きたくなるね。夏が終わる。2022年の夏はもう来ないんだね〜。1日1日を悔い無く過ごすことが人生の目標。

 

そんなこんなで、今日は卒論DAYだった。

カウンセリングで卒論進路の話をして、フィールドワーク相談もしてきた。

あ、ここで思い出した。同じところを二人に褒められたら、それは自分の強みなんだって。

カウンセリングの先生、褒めてくれたよ。よくやってるって。毎回来るたびに成長しているって。折れても、ムクッと立ち上がったね〜〜て褒めてもらえた笑笑。

レジリエンスですよ。失敗を恐れないさ、立ち直るよ私は何度でも。

フィールドワークの先生も、卒論、よさそうですねって言われた。

私は卒論全然ダメだなって思っていたけど、第3者目線だとそこまで悪くないみたい。

1日の終わりを迎えた今、卒論が少し見えてきた。よかった。

インタビューうまくいきそうに無くても、大丈夫。次に行けばいいって話。全員に好かれる必要はないんだよ。嫌われたっていい。自分が大切な人を愛することができれば、誰に嫌われたっていいんだ。あと、人ってすぐ忘れるし、別に私はすごい人間じゃないから。忘れられるし、勝手に生きていこうよ。

 

私、今日も最上級に上手くやってるね。

謙虚に頑張る姿勢大事。どうにかなる前向きの姿勢も大事だけど、常によく考えること。

 

今日も素敵な1日を作れた自分をリスペクト!!!!

毎日、史上最高の日で、今日は最高だった。また明日も最高な1日を作ろう!

 

 

レジリエンスについて

レジリエンスとは定義はまだわからない。

 

 

そこで、TED の

「心のレジリエンスを高めるための3つの秘訣」を試聴した。

以下はそのメモである。

 

逆境から立ち直る方法はある。

レジリエンスを高める3つの方法。

・レジリエントな人は悪いことが起こることを知っている。厳しい現実が来た時、苦労は人間にとって一部のものであることをわかっている。まるで完璧な人生が送れると思っているけど、実際は違う。

・レジリエントな人は自分の意識をどこに向けるかわかっている。自分が変えれられるもの、変えられないものがわかっている。人間にとって悪いことに気づくのは簡単である。人生は脅威に満ちているけれども、いいことの方に意識を向けている。死に呑み込まれてはならない。生きる目的がある。

その日に起きたいいこと3つを思い浮かべる。参加者は感謝幸せを感じ、気分の落ち込みが減った。

意識的に、慎重に、継続的に自分の世界の良い事柄に目を向ける。

・自分を助けているか、傷つけているかを自問する。自分の行動が自分を傷つけていないか、役立っているのか、方向を決めることができる。

亡き人の写真をみて、気分が落ち込む。その行動は本当に必要で自分のためになっているのか、考える必要がある。

 

レジリエンスは誰にもで身につけられるもの。

 

(「ルーシー・ホーン: 心のレジリエンスを高めるための3つの秘訣 | TED Talk 」より)