生きる

こんばんは。

突然ですが、苦しみはあります。

23歳になり、大学の卒業間近ですが、就活もせず、大学院受験をしたものの受かる可能性は低く、正直希望はない人生です。

いつも死にたい。心からの喜びを感じることが少なくなった。毎日感情はあまりない。ただ死にたいと思うそんな毎日を過ごしています。今日も。

 

さて、最近はなぜか文章を書きたいと思うことが増えてきました。悩みは尽きず、その種類は多様です。例えな小学校6年生から悩んでいる肌荒れ、将来の不安、結婚、健康、家族の健康、死。私はジャニオタをやっていますし、アイドルオタクももう少しで10年超えるかもしれませんが、アイドルオタクとしての心持ちを変わってきました。

オタクについては、昔ほどドキドキしなくなってきましたし、前日の緊張感も減ってきました。

将来の不安は、高校受験、大学受験どちらも第二志望の学校に行くこととなり、本当の成功とは言えないのではないかと悩んできました。今も全くどうなるのかわからない人生で、できるなら死にたい。でも死ねる勇気もないので生きているんです。

 

もし、今生きるのが辛いと思ってネットを検索して、このページに辿り着いた人がいるならば、私は何もできないけれど、きっと人生はどうにかなるんだと思います。死ぬななんて言わないです。私だって死にたい。でも明日は起きてみようと思うし、太陽は見たいと思う。食事が喉を通らなくても、寝てみよう。目的のない人生でもいい。今を生きればいいんだってそう思いたいです。

今『生きがいについて』を20ページほど読み、久しぶりに文章に吸い込まれました。こんな文章に出会えるなら、もう少し生きてもいいかなと思いました。

ここ最近は、死にたいことは変わりありませんが、「あとは死ぬだけ」と思って生きています。今は死ぬ前の時間だからやりたいことをやる、悔いのない人生を送るために、最低限やりたいことを今やっています。そのために生きています。なので、やること無くなったら私は死んでもいいと思っています。

どうか、今、「死にたい」、「生きるのはもう飽きた」と思う人がいれば、一つだけ、やりたいことを見つけてそれをやってから、もう一度人生の終わりを考えてみるのはどうでしょうか。考えてみると意外とやりたいことはあると思いませんか。あのカフェに行きたい、山に登りたい、人に会いたい、あの音楽を聴きたい、ゲームをやりたい、その気持ちを満たし切ってから、死ぬ方が、悔いのない生き方になるのではないかと考えてます。

 

生きる苦しみを感じる私がいることを覚えていただけら嬉しいです。私も死にたい。